〜雨〜




     消火器外科に勤めだして数年経って

 やっと慣れてきたころ私は彼と出会った。 


  彼は食道癌で私が病院で働くずっと前に手術をしており、

 抗がん療法を受けにたびたび入院してきてた。

 抗がん療法は体力的にも精神的にもとても辛く、

 でも患者さんにとっては必要な治療であり、

 患者さんは一人でその治療に耐えなければいけない。

 たいていの人は家族や友人がその辛さを支え、励ましてくれる。

 しかし彼はたった一人で何度も乗り越えていた。

 奥さんとも離婚したった一人の娘ともほとんど会えない状況だったからだ。



    私から見て彼は近寄りがたい存在だった。

 体には刺青をし、神経質そうな表情で、

 慣れている人としか話さない。。。そんなイメージがあった。

 だけど私の父と同じ年で私は彼の娘と同じ年ということが話しているうちにわかり

 徐々に打ち解けてくれとても親近感がわいていた。

 彼も同じ気持ちだったのだろうか、廊下であったり給湯室で会ったとき、

 世間話してきたり、冗談いったりよく声をかけてくれるようになり

 そのうち、彼は私にいろんなことを教えてくれた。

 食道の手術後でのどに痞えやすい体にどんなマッサージが一番楽になるのか教えてくれた。

 抗がん剤の副作用で吐き気がひどいときによく看護師が

 「頑張って少しでも食べましょう」という言葉が患者にとってどんなに辛いことなのか、

 という話をしてくれたときは自分の行動を深く反省した。

 看護師の声かけや表情がどんなに患者の気持ちを左右するのか

 ちょっとづつ彼は語ってくれた。



  そんな彼も徐々に体の状態が悪くなっていった。

 肺に癌が転移しており、

 自分の呼吸だけでは苦しくなってきた。

 そのため、鼻から酸素が始まり、そのうち酸素マスクにかわり、

 そのマスクでも足りなくなりリザーバーマスク(普通の酸素マスクより

 より酸素を送ることが出来るマスク)となった。

 呼吸状態が悪くなるにつれ、寝ると呼吸が苦しいためベッドの上で一日中座って過ごした。

 ご飯ももちろん食べれなくなり首からIVHという高カロリーの点滴が入り、

 トイレに動くのもオムツを替えるのも苦しくなるため

 バルーンカテーテル(尿道へ直接管が入る)を入れた。

 もう、自分では体を動かすことが苦痛でしかなかった。



    ある朝、清拭(体を拭くこと)を本人の苦痛を最小限にするため、

 四人がかりで拭いていた。

 もう、話すことすら辛い彼が私たちに向かって

 「苦しくてたまらない。もう、オレを殺してくれ。」

 と言った。

 ベテランナースが、

 「なーに言ってるの。頑張ろうよ。」

 と、明るく声をかけた。

 びっくりした。あんなに精神的に強い彼がそんなことを言うなんて。

 私は彼になんていったらいいのか、正直わからなかった。

 ただ手をつなぐことしか出来なかった。

 だけど彼は何度も「殺してくれ」と頼んだ。

 私たちがそんなこと出来ないとわかっているのに何度も言った。

 そんな彼の少しでも気分転換になるよう外の眺めが見えるようにベッドを移動し、(病棟は6階)

 彼の部屋を後にした。

    結局、午前中は他の患者さんのことで忙しく動き回り昼休憩となった。

 午後になって時間が落ち着いたら彼の元へ行こう、

 ちょっとでもそばにいたら。。。と考えていたその時、

 先輩ナースがあわてて休憩室に来て一緒にご飯を食べていた師長(婦長)に向かって

 「婦長、Nさん(彼のこと)が落ちました!!」

 と、叫んだ。

 落ちた?ベッドから落ちたの?そんな、立ち上がる力すらないはずなのに。。。。

 と考えながら師長と彼の部屋へ向かった。

 だけど、誰の姿も無かった。

 もしかして。。。。と、あわててベランダに駆け寄って下を見たら

 雨に打たれながら倒れている彼の姿があった。。。。。。。。




  頭が真っ白になった。

 「なんで?なんで?」と何度もうわごとのように繰り返しながら

 急いで師長と彼が落ちたところまで行き、

 救急外来の処置室へ運び外科の先生たち以外にも

 院内の医者を呼びかけ直ちに処置をした。

 先輩ナースと処置の介助に付きながら必死になって彼に呼びかけた。

 何度も何度も呼びかけた。

 だけども彼は答えてくれず、彼の望んだとおり帰らぬ人となった。

 その後はただただ涙が出て止まらなかった。

 病棟のスタッフみんなが泣いた。

 誰もしゃべらなかったが、きっとそれぞれ自分を責めていたと思う。

 私もひたすら自分を責め続けていた。

 なんであの時もっとそばにいてあげなかったのだろうか。

 なんであの時話しを聞いてあげれなかったのか。

 なんであの時先生にもっと苦しくないように何なにか出来ないか話し合わなかったのか。

 なんで、なんで、なんで。。。。。。

 外はまるでみんなの気持ちのようにずっと雨が降り続けていた。



 彼の身をもって訴えた出来事から人とのかかわり方が変わった。

 頑張ってる人に対して頑張ってと言わないようになった。

 特に患者さんに対して頑張ってる人にもっと頑張ってと言うより

 頑張ってますねって言われるほうがずっとうれしいと彼がおしえてくれたから。

 ご飯食べなくちゃいけないってわかってても食べれなくて

 吐き気止めまで飲んで頑張ってる人に対しても食べることが苦痛にならないように

 無理して食べなくてもいいよ、食べれないときは点滴とかで補えるよって

 逃げ道をつくってあげることも救いなんだって彼が教えてくれたから。

 自殺は生きたくても生きられない人に対して失礼だと考えていた自分が、

 それも彼の人生であり、彼の生き様であり、言いたいことの表現の一つとも考えるようになった。

 そして「忙しい」という言葉で片付けないこと。

 尊敬する友人でもある一人のナースが

 「忙しいって心(りっしんべん)を亡くすってことなんだよね。」と言った。

 あの日、午前中忙しいからといって私は彼の元へ顔を出さなかった。

 その日担当でなくても気になれば顔を見るだけでもすべきだったと思う。

 仕事に追われて看護の心、人を思いやる心が亡くなっていた。

 二度と心を失いたくない。患者さんをこんな形で失いたくない。

 だからどんなに大変でも忙しいという言葉で片付けないようにしようと彼に誓った。