〜氷水〜




     看護師一年目として働き出した所はとある総合病院の消化器・婦人科外科病棟だった。

  毎日がいっぱいいっぱいだった。

  よく廊下を走ってはしかられていた。

 この癖は今でも変わらず、妊娠中でも走っていたため、遠くからしかられたものだ。



  彼女との出会いは、私が夜勤にやっとなれた頃で、担当ではなかったが(その病棟は担当制でなかった。)

 とにかくナースコールが多い人だった。

  ナースコールをとるのは新人の仕事であったのでしょっちゅう彼女の所へ足を運んでいた。

 彼女は以前他の病院で子宮ガンにより子宮をすべてとっていたが、

 腫瘍が残っていたため、あちこちに癌細胞が転移しそれが悪さして腹水がたまっていた。

 お腹が張って苦しく、自分で思うように動けないため、よくナースコールしてきた。

 が、この時はまだ少ないほうだった。



 徐々に状態が悪くなり、食事が取れなくなって中止になって点滴で栄養を補っていた。

 吐き気がひどいため、鼻から胃へチューブが入った。

 これで、胃の中のものが外に出るため吐き気がしないし、

 吐くことでの体力への負担や精神的負担を軽減してきた。

 しかしこの頃より彼女はのどの渇きがひどくなってきて、

 水を飲んでは鼻の管から出し、飲んでは鼻の管からだし、、、と繰り返していた。

 これを5分おきに

 「水ちょうだい、氷水。」

 と、そっけなく言うもんだから、ただでさえ忙しい私たちはイライラしていた。

 たぶん表情にでていただろう。

 私も自分がいっっぱいいっぱいだったので、笑顔さえ出せなかったと思う。

 だけど、なるべく彼女の話を聞くようにしていた。

 冷たいものを飲んでも満たされない彼女があまりにもかわいそうに感じていたからだ。

 私だったら耐えられるか?多分無理だろう。

 それに彼女はそっけなく言う人だが、悪い人ではなかったのだ。

 ただ、体が本当につらくって、満たされなくって、イライラして口が悪く聞こえたのだった。



 しばらくして、さらに状態が悪化し、意味不明なことを言っては周りを困らせ、

 時には怒り出すこともありナースコールはより頻回に鳴った。

 私たち看護師はため息が出るばかりで何もできなかった。

  そしてついに起きている時間が短くなってきた。

 それとともに、ナースコールの回数が減っていき、

 それは彼女がもう長くないことを示していた。



  私が準夜勤務で、病院に行った時、彼女があと数時間の命であることを申し送られた。

 部屋も、二人部屋から、個室のほうに移動しており、家族が集まっていた。

 「こんにちは、今から私が夜まで担当ですからね。よろしくおねがいしますね。」

 と私は意識がなくても彼女の耳元で手を握りながらいつものように挨拶をした。

 彼女は、うつろうつろと

 「Sさん?」と私の名前をよんだ。

 私はびっくりした。ずっとほとんど意識がなかったと聞いていたのだ。

 「私がわかるの?」と言うと、

 「声だけでわかるわよ。あなたの笑顔忘れないもの。

 ああ、あなたでよかったわ、今夜はよろしくね。」と言った。

 一緒にいた先輩ナースとともに顔を見合わせびっくりしていたとともに、私は泣きそうになった。

 「よろしくお願いしますね。」

 そう言ってすでに意識がうすれている彼女の手を強く握った。



 彼女の声を聞いたのはこれが最後だった。

  あの後、一時間もたたずに彼女はこの世からいなくなったのだ。

  彼女を見送りながら私は泣きながらあやまった。

 ナースコールをとりながらも、「またか。。」って思ってごめんね。

 作り笑いばっかりだったのにごめんね。

 本当のあなたからよかったって言ってもらえるほどの看護してあげられなくってごめんね。

 何度も、何度も「ごめんね。」と、あやまった。

 本当に、後悔ばかりが残ってしまった。



  私がその病院を去るとき、あの時一緒にいた先輩ナースが

 「あの場でああ言ってもらえたあなたがうらやましかったよ。

 そのときのこと忘れない看護婦でいてね。」

 と言われた。

 私は自分がちゃんと彼女と向き合っておらず、

 本当の笑顔でなかったような気がして心から喜べなかった。

 何度も彼女に謝ったことを忘れていなかった。

 だけど、彼女の言葉に恥じない看護師になろうと心から誓った。