〜秋晴れ〜
彼を担当したのは、看護学生2年の頃でやっと各論実習に入った頃だった。
実習場所は循環器病棟。循環器は学生にとっていやな実習場所「bP」だった。
というのも、内容は難しい上に、ナースがこれまたいやみな人が多かったからだ。
今になって思えば、循環器は急性期の中でも1分1秒の自分の判断・対応で命にかかわってしまうから、
ピリピリしててもしょうがないって自分が循環器病棟に勤めてわかった。
その時の実習場所は、循環器病棟は心臓だけでなく、脳梗塞の患者さんも入院しており、
彼は脳梗塞で、その病棟に入院していた。
看護学校の先輩も受け持ってたらしく、情報を聞いたら、
「大変だよー。いろいろと。。。」
と、言われてしまった。
本当に大変だった。
何がって、病気を理解することは難しくて当たり前だが、彼本人がとても難しい人だった。
もともと彼は頑固な性格であったが、病気のため片麻痺、理解力の低下、
言語障害(彼の場合は話す言葉がうまく出ない)があった。
それに、妻が同じ病院に入院してしまい、本に告げると心配するからと言って、本人には内緒になっていたので、
妻の面会がないことに対し、毎日怒り、不機嫌になっていた。
麻痺があるから、ナースが食事介助するも、「自分で食べる」と怒り、
食べれるようにスプーンを作ったり、セッティングするも、結局うまく出来ずそれでまた不機嫌になる。。
何かを話そうとして呂律がうまくまわらずいらいらして不機嫌になる。。
体を動かしたいのに、思うように動かせず、不機嫌になる。。
「なんで?なんで?」が、きっと彼の中で渦巻いて、暴れることでしか感情を表現できなかったんだろう。
不機嫌になるたび、蹴られたり、パンチが飛んだりして痣だらけになり彼をどうにかなだめていた。
正直、彼の看護するのがつらかった。
だけど、ナースステーションにいると指導ナースにいやみ言われるので、彼の部屋にいた。
幸い個室だった為、彼が寝ているときはボーっとする時間があった。
実習後半、私は本当に疲れきっていた。
どうしたら不機嫌にならないように接することが出来るのか?
指導ナースも何もアドバイスくれやしなかった。
だけど、このまま実習が終わるのがとてもいやだった。
ある日、いつものように彼を車椅子に乗せ、セッティングをし、
食事介助をしていた。
食べながら、彼がボソッと何かを言った。
「なんて言ったんですか?」と問うとまた言ってくれたがわからなかった。
何度も言ってくれるのに私がわからない顔をしたため、彼は不機嫌になった。
私は、すごく失礼かもしれないが、どうしても彼の何気ない一言が理解したかった。
彼の正面にしゃがみこみ、
「Oさん、私まだ、ちゃんとした看護婦じゃないからOさんの言葉がよくわからないときがあるんです。
でもね、Oさんの言葉がわかりたいんです。
だから、Oさん、ゆっくり大きな声で話してくれませんか?」
と言った。
彼はしばらく私をにらみ、ゆっくりと、
「あ き ば れ」
と、言った。
そうか、外を眺めながら食べてたから天気がいい事に気づき、
私に話しかけてくれてたんだね。
ごめんね、やっとわかったよ。
それから、彼と私はゆっくりと話すようになり、不機嫌も少しだけど減ってきた。
ある日、とても天気のいい日、彼とある約束をした。
「明日、また、天気が良かったら、車椅子で散歩に行きましょう。
秋晴れを外で見ましょう?」 と。
彼は相変わらずにこりともしなかったが、うなずいてくれた。
少しまた彼に近づいたと感じた。
次の日、私は初めてこの実習場所で朝から楽しみだった。
とても天気が良かったのだ。
彼の元に行く前に情報収集していると、ショックなことが記録に書かれていた。
昨日の夜中より血圧が上昇し、状態が悪化していたのだ。
もちろん、安静度も、ベッド上のみで、座ることすら許されなかった。
彼は案の定、すこぶる機嫌が悪くなっていた。
彼のそばに行くと久しぶりにキックを味わってしまった。
「悲しいよね、Oさんも散歩楽しみにしてくれてたんだよね。」
蹴られながら、そうつぶやいていた。
結局、彼はその状態のまま私は循環器での実習を終わった。
せっかく彼と分かり合えそうになったのに。
彼のうれしそうな顔が見れるって思ったのに。
でも、誰が悪いわけでもない。
どうしようもない。
病気とはそんなにあまいものじゃないのだ。
それを受け止め、自分に今何が出来るのか考えなきゃいけないんだ。
それが、私たちの仕事なんだよね、Oさん。